DYES OFLONDON
1940年代 ダイロンの誕生
1946年、ルカ・パーベックとピーター・サミュエルという2人の若い起業家が、ロンドン中心部のガレージでカラフルな染料の販売を始めたことをきっかけに、DYLON(Dyes of London [ロンドンの染色] )は誕生しました。
創業者たちは、限られた設備の中で、数千種類におよぶカラー・サンプルを準備し、同年、最初の商品を発売。それが、現在も販売されているロングセラー「マルチ」シリーズです。
戦後のイギリスの「やりくり上手(make-do & mend)」な生活の中で、DYLONは布用の染料を作り、イギリス中の家庭やワードローブ、そして人々の気持ちを明るくしました。
DYLON GOESGLOBAL
1950年代 ダイロンは世界へ
1950年代のロックンロールの時代にも、ダイロンは成長をし続けました。
新製品として、洗濯機を使って染色する「Wash’n Dye Colours」シリーズを発表。その後、数十年の間にDYLONはグローバル化し、世界70カ国以上にカラー染料を販売するようになります。
EXCITING NEWCOLOURS
1960年代 カラフルな時代
揺れ動く60年代は、DYLONにとって最高の時代であり、前世紀で最もカラフルな時代だったと言っても過言ではありません。エッジウェア・ロードにあるDYLONのシックなブティックのウィンドウ・ディスプレイは、スタイリッシュな人々を刺激するアイデアで常に変化していました。ロンドンのファッション・ブランド、MARY QUANT(マリー クワント)と共同で20色の新色を開発するなど、積極的な展開を通じてDYLONの知名度は一層の高まりを見せます。その一方、ティーンエイジャーは、自分で服を作り、裾を短くし、Tシャツを絞り染めし、刺激的な新色を身につけていました。
MOREINNOVATIONS
1970〜1980年代 さらなる変革とダイロンジャパンの誕生
DYLONは、70年代から80年代にかけて革新的な製品を次々と発表し、アイロン補助剤からシミ抜き剤まで、色を最高の状態に保つためのさまざまなファブリックケア製品を発売しました。1974年、安全性を考慮し、ベンジンを使用する染色からは撤退。1979年、モンテカルロで開催された国際展示会では、グレース・ケリーもDYLON製品に興味を示しました。1981年には、世界初の全自動洗濯機のみで染色できる「マシンダイ」を発表しています。
一方日本では、1971年、英国財界と太いパイプを持っていた先代社長の上代順が東京にダイロン・ジャパン株式会社を設立。ダイロン染料の国内販売がスタートしました。70年代、ダイロンの登場により、ファッション業界では“染め”を採り入れることが流行し、タイダイブームが巻き起こりました。
1981年には、一般家庭でも手軽に染色が楽しめるよう、「染色ガイド」など、ダイロン専門の手芸誌を相次いで刊行しました。
VIBRANTCOLOURS
1990年代 瑞々しいカラー
1990年代、DYLONはテレビ番組「Changing Rooms(チェンジング・ルーム)」で、ローレンス・ルーウェリン=ボウエン氏などに愛用されました。この頃、DYLONは革新を続け、その利便性の高さが大きな話題となった「DYLON Wash & Dye」を発売しました。発色のよいダイロンの染料は、有名ファッション・ブランド、大手繊維メーカーを始め、染色を必要とするさまざまな商品分野において、世界中で高い評価を得ました。国内では1992年より、一層手軽に家庭内染色が楽しめる「ホーム・プロダクト・シリーズ」が発表されます。
MAKE ACHANGE
2000年代 捨てる時代の終わり
2000年代に入り、DYLONはマルチのパッケージを開封しやすく、ゴミの出ないものに刷新しました。また、イギリスのグラフィックデザイナーColey Porter Bellが手掛けたロゴ、パッケージデザインは、従来の染色のイメージを一新する鮮烈さがあります。
近年、人々が持ち物の浪費を減らすことを選択していることから、DYLONは再び大きなトレンドとなっています。リサイクルは大きなニュースであり、人々は物を捨てるのではなく変えることを選択しています。また、今日の活気ある話題は、個人の個性です。DYLONの布用染料を使えば、自分だけの色の服や家のテキスタイルで自分を表現することができます。
DYLONの染料は、毒物や劇薬を一切使用していないため、お子さまでも安心して利用いただけます。環境にも人体にも害のない染料を作り続けることは、DYLONの揺るぎない製品ポリシーによって支えられています。